「オンリーワン」の本質は、この2曲が教えてくれた。

中学3年生の時から、絶え間なく自分の中で「オンリーワン」という言葉の本質を巡った殴り合いの抗争が勃発している。と言っても、自分の中でひとつ結論は出ているのだが...

 

「オンリーワン」って、つまり何らかの分野において「ナンバーワン」のぶっちぎった存在であること。僕はそう解釈している。野球で言ったら、代打の切り札、終盤の守備をギュッと締めるためにフィールドに入る選手、代走のスペシャリスト...とか。

しかし、あの歌のフレーズにある「ナンバーワンにならなくてもいい」という一節の影響なのだろうか。「順位が全てじゃないよね!だから、運動会で順位をつけるのやめました!」みたいな話を聞くと本質からズレてるなぁと思う。去る5月18日に誕生日を迎えた彼が伝えたかったのは、そういうことじゃないはず。

 

僕は数ある槇原敬之(ボカした意味!)の曲の中で、あの歌だけは未だにどうしても好きになれないところがある。なんか、言葉があまりに美しすぎるというか、磨かれすぎているというか。正直、この曲から「オンリーワン」という言葉の本質に辿り着くのって、結構難易度高いと思う。

 

好き嫌いの話はさておき。こと「オンリーワン」という言葉の本質を突くという意味で、今日ふとした瞬間ふたつのフレーズが頭の中でオーバーラップした...というのが、この怪文書を書くに至った背景だ。

 

まずひとつめ。何の前触れもなく思い出した、作詞・作曲槇原敬之「Turtle Walk」の歌い出し。

 

「うしろから君が 見たときに ぼくの背中だと分かるように」

 

あ、自分がなりたかった「オンリーワン」像、これだ!!と膝を打ったと同時に、もうひとつのフレーズが頭の中に割り込んできた。

 

同じく作詞・作曲槇原敬之「The Average Man Keeps Walking.」の一節。

「無鉄砲に向かってく僕の 背中が誰かにとってだけの 特別なものにいつかなれるまで」

 

なるほど。この曲のテーマって、じつはこの曲のパクリだったのか!という脳内裁判の過程はさておきだ。2曲ともYouTubeでも聴けるので、是非いちど歌詞と合わせて聴いてみて頂きたい。ここに示した2つのフレーズに共通しているのは、「人混みに紛れていても、後ろ姿だけで分かって貰えるような。誰かにとっての特別な存在でありたい」というテーマではなかろうか。これこそ、自分が思い描いてきたオンリーワン像に最も近い。

 

というのも、僕は本当にびっくりするぐらい、球場で顔が割れていない。透明人間並。今後割れてほしいとも思わない。しかし、今の時点で...5名ぐらいは、混雑とかが無くて顔が見える状況であれば、「れっつさん居るじゃん今日も相変わらず強風に煽られて四面球場まで吹っ飛んで行きそうだなおい」(こまちスタジアムに限る)と認識してもらえるかもしれない。

 

今後、せめてその方々からは、反対側のスタンドからのシルエットだけで「おっ、れっつさん来てんねぇ!そのまま強風で四面球場まで以下略」と気づいてもらえるような。今はまだまだ果てしない道のりだが、いつかそんな存在になりたいと何となく思い描いていた。そんな時、奇跡的にこの2曲が脳内でオーバーラップしたものだから、これはどんな怪文書になったとしても書き残さねばという気持ちになり、今に至る。

 

纏め方など考えてないし、終着点も見つからない。とにかく自分に言い聞かせたいことは、まず自分は平凡な人間だと改めて自覚すること。しかし、諦めないこと。

 

「出来ないことに出来ない理由を整理するのではなく、あらゆる可能性を追求し、その方向性を見出す」とある書籍にあった一文。
久々に腕に刻みたいフレーズきたな。

 

 

おお。ここでツイートの伏線回収か。そう、「平凡ですから自分〜」と居直るのではなく。平凡だからこそ、何事も懸命に、丁寧に取り組むこと。そしていつか、背中を見ただけで「れっつさん居るねぇ」と誰かに気づいてもらえる日が来るように。僕の思い描く、本当の意味での「オンリーワン」になるための日々は、まだまだ続いていく。