タメ口表現練習帳

誰も読まないでって言ったじゃん💦でもクリックしてくれてマジで嬉しいよ、ありがとう!

 

ということで改めて...おはよう!めっちゃ良い天気だなしかし。

 

幾らタメ口の練習とはいえ、ちょっとぐらいなんか中身あること話さないとダメよね。いや、いつもの話、記事は中身あるとか、断じてそういうことではないけどさ!

 

前もツイートしたかもだけど、日本語って難しいよね...「です・ます調」「だ・である調」「その中間調」「友達に話しかける調」...その中でも、もっと実際は枝分かれしてると思う。

 

最近「自分の言葉」が迷子になっていて、いっそのこと新しく今日から作り直したいなぁと思って、こんなおふざけ満載なタイトルの記事にお付き合い頂きました。あ、言った側からまたやってしまった..定期的?不定期的?分からないけど、また良かったら付き合ってや。これはちょっと馴れ馴れしい?もう分からん!

 

はい、時間来たからお開き🙋‍♀️

これから出勤の人、学校の人、これから帰る人、これから起きる人、これから寝る人、色々な人がいるかもしれないから、安易に断定はしない。

 

最終的には、「思ったより堅苦しくない」ということだけ、ほんの少し伝わったらいいかな!

 

じゃあ、お互い良い一日を!

「基準」を明確化することの重要性

「なぁ、[ノックを打てない伝説のノックマン]が存在するとしたら、おまえどう思う?」

 

という質問が10年後の自分から来た前提で、原作を1ミリも知らない世界線の自分はこう答える。

 

「まずさ、[伝説の]という看板掲げてるのに、ノックすら打てないて...それまず人としてどうなん?

 

あとさ、「伝説の」って言うけど、なんかそれ細分化された明確な基準あるの?あるとしたら、誰が決めたの?例えば、7分以内に何本のノックを打って、打球スピードは何キロで、フライの滞空時間は何秒で、どのレベルの守備力のチームを甲子園どこどこまで導きましたとかさ。あ、後で「守備力」の基準も教えて?

 

あと、そもそも「伝説のノックマン」て誰?なんか「伝説のノックマン」という称号を得るための適性検査とかあんの?それとも、言い伝え?

 

あ、実在する漫画のキャラ?だったら最初からそう言えや。おまえの中では「某マンガに出てくる有能キャラ」という答えが完結しているかもしれないけどさ、オレ読んだことないのよ。」

 

それに対して、10年後の自分

 

「は?何キレてんの。だったらこっちも言わせて貰うけどさ、そもそもノックをハナから打てない奴に「伝説のノックマン」とかいう称号がいきなりつくわけないじゃん。

 

で、「伝説の」と一時は名を馳せたほどのノックマンが、何の理由もなしにノック打てなくなるわけないじゃん。なんかノックを打てなくなるに至るのっぴきならない事情があったんじゃないかな?とか。そこまで想像してからモノ言えよ!」

 

はい、そこまでー!!

と、みなさんお気づきのとおり、はじめに「漫画にこういうキャラがいてさぁ」という「基準」を明確にしておかないと、僕みたいな基準基準基準おじさんに掴まったら収拾がつかなくなるかもしれない。

 

とか言いつつ、毎回そんなん出すの面倒いからさ。もうちょい気軽に考えずモノ言える場所も欲しいよねっていうことで、「存在しない人物たちによる存在しない言い合い」を題材に、「基準」を明確化することの重要性について語らせて貰いました。

まことにありがとうございました。

再掲「レッツ誕生秘話」

ども!今日はタイトルの通り、「レッツ(れっつ)」というニックネームの誕生秘話を完全ノンフィクションでお届けします!ちなみに、僕は高校卒業までニックネームで呼ばれたことがなく、れっつも本名とは一文字も被ってません。大学時代のとある出来事が基になるのですが、折角なのでより詳細に思い出しながら書いていきます。それではどうぞ!

 

○2012年4月某日 京都にて 相方との出会い

2012年4月某日。僕は、大学(文学部)の履修説明会に参加していました。システムが複雑すぎて理解出来ず、「みんなこれ理解してんの?」って思っていたところ。説明会の終了間際。チェック柄のシャツを着ていた右隣の席の男子学生に「なぁ、説明の意味分かる?オレ、全然分からんのやけど」と小声で話しかけられました。

あぁ、自分だけじゃなかったんだ!と安心した僕は、同じく小声で「いや、全然分からないです!」と、全身全霊の標準語で返しました。秋田弁は全然恥ずかしいとは思わないのですが、当時は謎の「田舎モンだと思われたくない!」というプライドが邪魔していました。

丁度説明会が終わり、僕「関西の人なの?」彼「いや、福岡!」僕「そうなんだ!結構関西弁と似てるんだね。僕は秋田から!」彼「あきた?!」(最初は皆だいたいこのような反応でした)などと、その場で軽く自己紹介。立ち話もなんだしちょうどお昼だったので、その場のノリで2人で学食へと向かいました。たしか、学食でトップの人気を誇る「チーズチキンカツ定食」(名前合ってるか不安)を2人とも注文したと記憶してます。まぁ、メニュー名はさておき。チーズ入りのチキンカツ、白米、お味噌汁のセットです。桁1個間違えてね?って思うほどお財布にやさしく、それでいてお腹は満たされるボリューム感。何より、あったかい。学生にとってはこの上ない味方でしたね。

食べながら、自然と「サークルどうする?」って話になりました。たしか僕が先に話し始めました。「今考えてるのはね、混声合唱団。とりあえず見学行こうかなって考えてるんだけど、一人だと心細くてさ...」

僕が言い終わるか終わらないかのうちに、彼が「え、オレもそこ!」と。ん?たまたま履修説明会で隣に座って、一緒にご飯食べて、そのうえ行きたいサークルも一緒?そんなことあります?

その後、色々と話しました。僕は2年前に槇原敬之の20周年コンサートを大阪城ホールで観て、バックコーラスとして出演していたその合唱団に憧れていること。彼は音楽大好きで合唱経験もあり、大学でも合唱をしたいということ。

彼も「もしかして、オレらもマッキーのコンサートに出ちゃったりして?」などと超乗り気で、とりあえず後日一緒に合唱団の見学行こうという約束をしました。

そして、その日の全ての日程を終え帰宅時間に。彼「あ、下宿先ってどこ?」僕「あー、オレはあっち!」彼「オレもあっちだよ!」僕「え...もしかしてさ、○○ってマンション?」

ビンゴ。そんなことある?(その日3時間ぶり2回目)。なんと下宿先のマンションも同じでした。ところで皆様はお気づきでしょうか。ここまで僕たち、お互いに名を一度も名乗っていません笑

エレベーター前で慌ててメアドの赤外線受信(死語)を済ませ、彼の名前はメールで初めて知りました。彼の名は、「Goくん」(仮名)というらしい。

そして新入生歓迎期間の最終日に差し掛かったころ、満を持して僕たちは一緒に合唱団の見学へ。ミニコンサートでは、先輩たちがマッキーと一緒に歌ったかどうかなどという事実は関係なく、心を揺さぶられました。この人たちと一緒に歌いたい!自然とそう思えるような、活き活きとした表情と圧倒的な人数感の演奏でした。

僕たちは心優しい先輩方からの熱烈な歓迎を受け、合唱団への仮入部を決めました。

 

○2012年4月某日  某マンションにて レッツ誕生

そうして仮入部期間も中盤に差し掛かった頃。僕たちの下宿しているマンションには、もうひとり合唱団に所属している4年生の先輩が住んでいるというお話を後日聞きました。ある日、その先輩のお部屋へ一緒にご挨拶へ伺うことに。

そして自己紹介となり、まずはGoくんが「Goです!」と名乗りました。次の瞬間、僕の運命は決まりました。Goくんが挨拶を終えた後の、先輩の第一声。「(おまえ、)レッツ?」

えっと、なんの話?え、「レッツゴー!」ってこと?あっ、ダジャレか!戸惑いながらも僕は、否定する理由も無かったので「はい!」と答えました。レッツ誕生、僕にとって初めてのニックネームが誕生した瞬間です。ちなみに、由来は「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」というミニ四駆を題材にした漫画の登場人物です。主人公の名前が烈(レッツ)、相方の名前が「Go」(ゴー)らしい。作品については...ググってください!僕はその作品のこと、マジで何も知らないんです。いや、主人公が「烈(レッツ)」って名前であることだけは覚えましたが。もし僕が先に名乗っていたら...いや、どのみちレッツ&ゴーになったでしょうね。

 

○レッツ、完全定着

周りの先輩は「嫌だったら否定していいんだよ!」と言ってくださいましたが、そうはしませんでした。僕は初めてのニックネームが嬉しかったですし、その方が簡単に覚えて頂けるなら大歓迎でした。その後瞬く間に「レッツ」という名前がミニ四駆並みのスピードと角度で広がり、まだ名乗ってもいない先輩に「キミが噂のレッツか!会いたかったよ!」という声を掛けられることも度々あり。まさに社会現象となりました。それは決して僕の力ではなく、先輩の影響力だと思います。ちなみに、3年生時には僕が学生指揮者に就任し、Goくんは僕の指名により、テノールパートのパートリーダーに就任しました。Goくんの圧倒的な歌唱力、表現力、豊かな音楽経験値、底抜けに明るく練習を盛り上げてくれるキャラ。全てを存分に活かし、名実共に僕を「相方」として支えてくれる存在となりました。そのあたりのお話も、追々出来たらと思います。あの日、履修説明会で偶然彼と出会えたことに、僕は一生感謝を忘れることはないでしょう。

 

○そして今に至る

以上が、レッツ誕生秘話です。その後、後輩の言い間違いにより「レッツォ」になったり、僕が更にアレンジして「れっつぉー」など、形を少し変えてきました。ずっと「れっつぉー」としてTwitterで活動していた2021年12月のある日、尊敬しているフォロワーさんからのDMに「れっつさん!」と書かれていることに気づきました。その方が僕の本来の名前「レッツ」をご存知だったのかは定かではありません。ただ、こうして僕の指揮者時代を知らない新たな世界で関わってくださる方が「れっつさん!」と呼んでくださる響きが心地よく、本当に嬉しかったんです。それで、結局は元に戻りました。Twitterでは、多くの方に「れっつさん」と親しみを込めてお呼び頂き、その度に嬉しさが込み上げてきます。

以上が全貌です!よし、これで初めて書けたね。いつ僕が消えても、読んでくださった方がしっかり由来を伝えてくださると思うと安心です笑

だから、僕が明日消えてもいいように。ちゃんとストーリー丸ごと覚えてくださいね🙋‍♀️最後まで読んでくれて本当にありがとう!!!!!

2023.2.18 れっつ

「オンリーワン」の本質は、この2曲が教えてくれた。

中学3年生の時から、絶え間なく自分の中で「オンリーワン」という言葉の本質を巡った殴り合いの抗争が勃発している。と言っても、自分の中でひとつ結論は出ているのだが...

 

「オンリーワン」って、つまり何らかの分野において「ナンバーワン」のぶっちぎった存在であること。僕はそう解釈している。野球で言ったら、代打の切り札、終盤の守備をギュッと締めるためにフィールドに入る選手、代走のスペシャリスト...とか。

しかし、あの歌のフレーズにある「ナンバーワンにならなくてもいい」という一節の影響なのだろうか。「順位が全てじゃないよね!だから、運動会で順位をつけるのやめました!」みたいな話を聞くと本質からズレてるなぁと思う。去る5月18日に誕生日を迎えた彼が伝えたかったのは、そういうことじゃないはず。

 

僕は数ある槇原敬之(ボカした意味!)の曲の中で、あの歌だけは未だにどうしても好きになれないところがある。なんか、言葉があまりに美しすぎるというか、磨かれすぎているというか。正直、この曲から「オンリーワン」という言葉の本質に辿り着くのって、結構難易度高いと思う。

 

好き嫌いの話はさておき。こと「オンリーワン」という言葉の本質を突くという意味で、今日ふとした瞬間ふたつのフレーズが頭の中でオーバーラップした...というのが、この怪文書を書くに至った背景だ。

 

まずひとつめ。何の前触れもなく思い出した、作詞・作曲槇原敬之「Turtle Walk」の歌い出し。

 

「うしろから君が 見たときに ぼくの背中だと分かるように」

 

あ、自分がなりたかった「オンリーワン」像、これだ!!と膝を打ったと同時に、もうひとつのフレーズが頭の中に割り込んできた。

 

同じく作詞・作曲槇原敬之「The Average Man Keeps Walking.」の一節。

「無鉄砲に向かってく僕の 背中が誰かにとってだけの 特別なものにいつかなれるまで」

 

なるほど。この曲のテーマって、じつはこの曲のパクリだったのか!という脳内裁判の過程はさておきだ。2曲ともYouTubeでも聴けるので、是非いちど歌詞と合わせて聴いてみて頂きたい。ここに示した2つのフレーズに共通しているのは、「人混みに紛れていても、後ろ姿だけで分かって貰えるような。誰かにとっての特別な存在でありたい」というテーマではなかろうか。これこそ、自分が思い描いてきたオンリーワン像に最も近い。

 

というのも、僕は本当にびっくりするぐらい、球場で顔が割れていない。透明人間並。今後割れてほしいとも思わない。しかし、今の時点で...5名ぐらいは、混雑とかが無くて顔が見える状況であれば、「れっつさん居るじゃん今日も相変わらず強風に煽られて四面球場まで吹っ飛んで行きそうだなおい」(こまちスタジアムに限る)と認識してもらえるかもしれない。

 

今後、せめてその方々からは、反対側のスタンドからのシルエットだけで「おっ、れっつさん来てんねぇ!そのまま強風で四面球場まで以下略」と気づいてもらえるような。今はまだまだ果てしない道のりだが、いつかそんな存在になりたいと何となく思い描いていた。そんな時、奇跡的にこの2曲が脳内でオーバーラップしたものだから、これはどんな怪文書になったとしても書き残さねばという気持ちになり、今に至る。

 

纏め方など考えてないし、終着点も見つからない。とにかく自分に言い聞かせたいことは、まず自分は平凡な人間だと改めて自覚すること。しかし、諦めないこと。

 

「出来ないことに出来ない理由を整理するのではなく、あらゆる可能性を追求し、その方向性を見出す」とある書籍にあった一文。
久々に腕に刻みたいフレーズきたな。

 

 

おお。ここでツイートの伏線回収か。そう、「平凡ですから自分〜」と居直るのではなく。平凡だからこそ、何事も懸命に、丁寧に取り組むこと。そしていつか、背中を見ただけで「れっつさん居るねぇ」と誰かに気づいてもらえる日が来るように。僕の思い描く、本当の意味での「オンリーワン」になるための日々は、まだまだ続いていく。

判断材料の所在

「人は見かけによらぬもの」とはよく言ったものだが、これを野球に当て嵌め、自分なりに解釈した言葉がある。

 

「チームの強さを名前で判断するな」。いつ、いかなる大会においても、いかなるカテゴリーにおいても心に留めている言葉だ。

 

勘のいい皆様なら、既に何のことをさしているかお察しのことと思うが...僕は全くもって、あの試合が波乱だとも予想外だとも思わない。勝ったチームが強かった。それ以上でもそれ以下でもない。

 

いついつの大会でこれだけ勝ちました、これだけ活躍しましたって。過去の実績をネームプレートかなんかに書いて試合中に引っ提げてたら、試合中にピカピカ光って、負けてたら何点かおまけしてくれるのか。決してそんなことはない。いや、この例えはやや意味不明すぎただろうか。

 

ともかくだ。名前だけで判断してはならないと、何度も何度も実例を目の当たりにしているのに、なぜ僕たちは時が経つとコロッと忘れてしまうのだろうか。自分への戒めとして、最後にもう一度だけ言っておこう。

 

「チームの強さを名前で判断するな」。答えは全て、グラウンドにある。野球というスポーツの結果が名前によってのみ決まるのなら、日々こんなにも熱狂している僕たちがまるでバカみたいじゃないか。やってみなけりゃ分からない。だから野球は面白いんだろう。真に判断材料とするべきは名前ではなく、グラウンドで起きている出来事だ。